モンテッソーリの教育の要は
- 教育は自分で学ぶ事を助けること
- それぞれの”敏感期”に応じた適切な環境を作ること
だと思います。
私も娘はとてもかわいいので、ついついかわいい存在だということに目を奪われてしまいます。親であればこれは誰でも身に覚えがあるのではないでしょうか?モンテッソーリは子どもに対してただかわいいだけの存在として認識をしていると、自分たちで成長しようとか新しい能力を身につけようとしている子ども達の足かせになるという事を指摘しています。耳が痛い話です。
私も娘はとてもかわいいので、ついついかわいい存在だということに目を奪われてしまいます。親であればこれは誰でも身に覚えがあるのではないでしょうか?モンテッソーリは子どもに対してただかわいいだけの存在として認識をしていると、自分たちで成長しようとか新しい能力を身につけようとしている子ども達の足かせになるという事を指摘しています。耳が痛い話です。
ただ彼女のオリジナルの教育では、文字であったり数字の観念であったりという学ぶ事でも理論的分野へ偏重が気になります。理論だけではなく情操的や精神的人格も車の両輪として 形成されていく必用があると思います。
モンテッソーリの理論を当てはめると個人的に圧倒的な危機感を感じるのは、家族で海外に引っ越した場合、私が子供が一緒に話をしたいと思う人間でいなければ日本語の教育はそれこそ子供の興味に反して教え込まなければならくなってしまいます。まあ、「日本語はそんなにできなくても良いか」と考えるか、とても良い日本語の本やテレビ番組を見つけるという逃げ道も残されていますが…。
No comments:
Post a Comment